母方の祖父との記憶

2021/10/16 4:19 90歳で母方の祖母が他界した。

葬式はコロナ渦の影響で個人葬で、私たちとおばちゃんとおじちゃんのみの小さなものだった。顔は少しむくんでいたが、きれいに化粧をしてもらっていて、寝ているように見えたが、組まれた手を触ってみると、やはりなにも感じることはできなかった。外は気持ちのいい快晴だった。

 

私が中学生だった頃に祖父が亡くなった。祖父のことはどちらかといえば好きだった。しかし、今となっては実家に帰省し、母の化粧台の横の壁に飾られた写真を見て、思い出す程度だ。

祖母が亡くなり、いつかは記憶から消えてしまうかもしれないが、記録には残しておくことができると気づき、パソコンに向かっている。

 

上記の通り、祖父との思い出は今となってはかなり薄れてしまい、覚えているのは小学生のころ、祖父の運転するセダンで祖母と3人でサンリブに併設された徳川に行ったなという程度である。祖父の車に置かれていた手のひらサイズのお釈迦様についたリングで遊んでいたのは今でも、何故か覚えている。祖父との会話は全く覚えておらず、もの静かで落ち着いた上品なおじいちゃんという印象だった。

祖父との最後の会話は最悪だった。私が学校から帰宅し、PSPで遊んでいると、看病に行っていた母から、祖父の様態が悪化したという電話がかかってきた。「おじいちゃんの具合が悪いけ、励ましてあげて!」という内容だったと思う。私は絶賛反抗期で、ゲームの邪魔をされたため、「元気になってねっ!!」と不満を隠さず、一言だけ。電話の奥から祖父のあたたかな笑い声が聞こえていた。それ以降、お見舞いに行ったのかもしれないが、今でも覚えている会話?はそれだけだ。

その後、祖父が亡くなり、葬式場は山が近く、川が流れる音が聞こえており、会場は大きく、豪華な花が供えられていた。焼香をあげに祖父の前に行っても、心がまえがまったくできておらず、状況についていけてなかったが、兄たちの鼻をすする音が聞こえたため、「泣いてもいいんだ」と感じ、ようやく涙が流れた。その後の親戚たちとの食事で私は豪華な料理にはしゃいでいた、その横で親戚のおじちゃんたちが、「じいちゃんもにぎやかな方がええじゃろ」と言っていたと思う。

 

祖母の思い出がうまくまとめられなかったため、分けることにした。