大学時代の親友2人

私には大学の4年間で親友と呼べる友人が2人ほどいた。

 

多くの人が「筆者はどれだけ陰気な性質を持ち合わせた人間なんだ」と思っただろう。あえて、否定はしない。学科で顔見知りはまぁいたが、テスト前に答えを共有するくらいのものだったし、2つのサークルに所属していたが、一つは同じ学科しかおらず、もう一つは女子天下で、仲良くなるとまではいかなかった。

 

友人が少ないが、後悔はあまりしていない。私という歪なピースにも対応できる数少ない友人だからだ。

 

私は高校のころから、クラスのムードメーカーとは相反する存在で、誰もが扱いづらいだろう性格をしていたが、偏差値の高い高校に進めたため、私をうまく受け流すほどの才能を持った人が多かった。そのおかげなのかわからないが、私はなぜか、いろんなジャンルの友人がいた。サッカー部でバリバリ騒ぎ倒す漢とけなしあったり、スポーツ万能で秀才の女の子を馬鹿にしたり、テニス部のやさしさ極まりない紳士と遊びに行ったりしていた。

 

大学は男しかいない学科に進んだため、よけいに悪化した。学科でそれを披露する機会はなかったため、変な奴なんかな?程度の認識で卒業できたが、サークルで酒が入ると羽目が外れ、自由に羽ばたいたものだ。先輩や後輩が私たちのノリについてこれるはずがなく、気づけば私の周りからは人が消えていたこともしばしば起こった。騒いでいる「大丈夫か?落ち着けって」と先輩から心配と同情が混じった声をかけられたこともあった。自分が楽しもうとすればするほど先輩からは気持ち悪がられた。先輩からは遊びに誘われたことはあったのだが、毎回空回りしていたため、学年が上がるにつれて、交流は途絶えた。同期の女子が何人かいたが、どの子も陽気な雰囲気から漏れ出る悪意を感じてしまい、苦手だった。グループになったときは話しかけても無視され、聞こえるところで「kakaomiって、陰キャよね~」と言われていた。この同期の女子が先輩と非常に仲が良かったため、どちらも信用できなかった。

 

しかし同期の数人の男からは絶大な信頼を置かれ、それが親友の2人なわけだ。一人をT、もう一人をYとする。

Tからは人との接し方を学んだ。そういえばTも先輩・同期女子から「空回りしてるやつ」と陰口を言われていた。私はこいつらが大嫌いで心が汚れて、口を開けば悪口や愚痴しか出ていない時期があった。そんな私を救い上げてくれたのがTだった。Tは圧倒的に性格がよく、Tから人の悪口を聞いたことがなく、いつもどうでもいいような話題を振ってくれ、適当に思いついたことを返すと、大笑いしてくれた。私が一人で歩いていると、すぐにそばに寄ってきてくれて話題を振ってくれるので、会話に困ったことはなく、居心地がよかった。遊びにもよく誘ってくれ、予定がない日は家で退屈していたのだが、Tと仲良くなった後は大抵遊びに出かけ、ボーリングやダーツといった、大学生必須スキルを身に着けることができた。性格は最高なのだが、部屋が汚く、靴をずりながら歩き、食事のマナーも悪いのが玉に瑕なのだが、それを踏まえたうえでも有り余るほどの人間性に好感を持てた。Tと仲良くなったおかげで、悪口はイジリ以外では使用せず、いまでは数人の先輩、多くの後輩とよく遊びに出かけている。

 

Yからはおしゃれと会話の弾ませ方を学んだ。Yはファッションに敏感で古着を着回し、サークルでは先輩女子から可愛がられていた。ぴちぴちのシャツにぴちぴちのジーンズをはいていた私は、Yと古着をめぐっているうちに、トレンドを意識した無難なファッションを学ぶことができた。今では後輩に服を選んでほしいといわれるほどだ。

また、Yは会話の引き出し方がうまく、基本的に人へ質問して、リアクションが欲しいタイミングで誰よりも早く反応し、話している人が気持ちよくなる方法を熟知していた。それに気づくまでの私は、自分のテリトリーの話が振られるまで黙りこくり、話すときは自分の話しかしていなかった。これに気づいてからは、質問を基本として、自分の近況などの相手がリアクションに困る話題は避けることができるようになった。

 

こんな私によく親友ができたなと思うだろうが、私もその意見には激しく同感だ。私はただ運がよかったのだ。人との出会いに恵まれていただけだった。読者諸君、「こんなやつでも友達出来るんだ」と安心して、自分の素を出すのはやめた方がいいだろう。私は一般的にみて変人であるのに間違いはない。私がレアケースであるため、まだ友人に信用してもらえるまで、素を出すのは辛抱したほうがいいだろう。

 

そしてなにより、3人でいるときの全知全能具合は甚だ快感であった。Tが遊びに行きたいと思ったら、私とYに電話し、「遊びに行こう」と誘いが真っ先に来る。私もYも基本的に暇を持て余すことの方が多かったため、断ることは少なく、誘われるのは私たちが一番初めのことが多かった。

そして、3人が集まるとTが話題を振り続け、基本的にYが反応し、二人のテンションが上がっていき、私がひらめいた言葉を間に挟んでいくと、大盛り上がりという最高の流れが出来上がっていた。同じ学科の仲いい男7人ほどでのみに行っても、3人にしか入れないタイミングがあり、それがとても心地よいため、結局3人で盛り上がっていることが多々あった。

楽しいときは一瞬にして過ぎ去ってしまい、みな別々の土地で会社に勤めている。しかし、今でも2か月に1回ほど集まっては、大騒ぎをしている。